取材は2015年7月現在。菊地社長は2015年12月に代表取締役会長に就任。
 本日の取材どうぞよろしくお願いします。 武田選手の福島とのつながり、印象、プラスワン・福島菊地社長とのご縁をお聞かせください。
 福島は年に2回ほどは来ています。二本松で行われる大会や、菊地社長のいる福島市内にくることが多いです。講演で相馬市にも行ったことがあります。 僕はキックボクシングの長江國政先生の元に弟子入りをし、20年近く選手として在籍していたのですが、もともと長江先生と菊地社長がお知り合いで、お二人で子どもたちのための団体をつくられました。それから長江先生の弟子である僕も、自然と菊地社長と交流を持つようになりました。
武田選手と菊地社長のご縁には、長江先生というキーパーソンになる方がいらっしゃるのですね。
 はい。僕らが憧れ、尊敬する長江國政先生です。元世界チャンピオンで、日本で初めて「新空手」という新しいジャンルの空手をつくった方です。私はチャンピオンになり、長江先生とおつきあいするようになりました。そして、次世代の子どもたちにも活躍させたいと思い団体をつくったわけですが、その際に武田選手とも交流を持つようになりました。
 武道(キックボクシング)という道に進んだ理由・現実・そこで得たものとはなんだったのでしょうか?
 生まれがすごく貧しくて、倉庫に住むような家庭でした。高校時代に始めたラグビーでは、大学推薦までとれるほどになったのですが、やはりラグビーでは家族を養えないと考えるようになりました。その時に、ちょうどテレビでK-1を見たのがきっかけで、ラグビーを辞めて武道の世界に入ろうと決意しました。ですが全く知識がなかったので、タウンページで調べて、たまたま一番近かったジムが今の治政館でした。つまり、格闘技に入った動機はお金でした。ラグビーで鍛えていたこともあり、試合にはすぐ出させられました。 何千万とファイトマネーが貰える世界とは裏腹に、デビュー戦はなんと5,000円のチケット2枚と現金5,000円。テレビで観るような華やかな世界ではありませんでした。1年間は我慢してお金のためにやっていましたが、状況は変わらず、とてもやっていけないと思い、ジムを飛び出しました。それでいろんな儲かるイメージのジムを渡り歩いて… でも、やっぱりどこも自分にしっくりきませんでした。 「お金のため」に武道を始めたわけですが、武道は「お金じゃない」というのが心のどこかにあって、その思いはジムを飛び出して初めて浮き彫りになりました。そして転々とするうちに、長江先生が武道を通して「人の道」「男の生き方」を教えてくれていたことに気付きました。やっぱり、長江國政の下がよかったです。
 武道をやっている人というのは、純粋に武道を愛している・愛していないということを、肌で感じることがあるんです。長江先生はすごく純粋な人です。共に暮らしているわけではないのに、伝わってくることは強く感じてくる。自然に男ぼれしてしまう人です。
 プラスワン・福島はまさに体が資本の仕事です。武田選手の身体づくりのポイント・現在のトレーニングなどを教えてください。
 僕はプロなので、もちろん厳しいトレーニングをしますが、逆にプラスワン・福島の皆さんは、夏場は2リットルのペットボトルが必需品である過酷な職場。2リットルのペットボトルが空くということは、4リットルの汗を流すということ。日々の肉体労働で自然に身体は鍛えられていくでしょうから、それよりも体調管理をしっかり、事故のないように気をつけて欲しいです。 現在僕は俳優をしながら、仕事のないときは週6でトレーニングしています。ほぼ現役時代と一緒の体ですよ。キックボクシングのトレーニングや、乗馬もします。
 現在、目標としていること、また目標達成のための極意についてお聞きします。極意についてはプロとして毎日厳しい練習を乗り越え、世界王者として君臨できた答えにもなりそうですね。
 まずは若い子を育てたい、キックボクシングの良さを広げていきたいですね。それはやはり長江先生の下でジムの指導もしているのもありますが、自分を20年間育ててもらった先生への恩返しと、この業界に対する恩返しです。あとは個人的な目標としては俳優として、表現者として、世界で仕事できるようになりたいと思っています。 目標達成の極意としては迷いましたが…よく、何で頑張れるんですか?と聞かれることがあります。僕は日々努力をすることに迷ったことがありません。目標に辿り着くことが楽しくて、極意というよりも自然なことでした。キックボクシングにしろ、どんなスポーツでもそうですが、強くなるには練習が必要不可欠。そして、練習というものは、コピー用紙を1日1枚重ねていくようなものだと思っています。途中少しでもさぼると高さがでません。その努力ができるかどうか。より高く積み上げていく、努力を達成するにはすごく根気がいるものです。 達成する場所(目標)があれば一直線に進めばいいですし、紆余曲折あっても進む努力をすればいい。目標がないとつまらないですし、人生もぶれていきます。もし、それでもやはり目標が定まらないのなら、今を一生懸命に、大切にして欲しいです。
 武田選手は現在若い子たちを指導されているそうですが、育成というところで考えると、次世代の人を育てるとき、育つ相手が同じように考えられるかどうかがポイントになってくるようですね。相手によって指導法が違ってくるのでしょうか。
 勿論です。キックボクシングや空手を通して、プロにあがることだけを教える訳ではありません。人としての道、それを「武道」として教えています。一概に全部がプロとしての指導ではありません。プロとして教える場合はまた違う厳しさを指導します。ただ、死と隣り合わせの世界でもあることも事実です。だから、他にもし仕事の予定があるとか、他で食っていくことができるのであればやるべきではないと選手に言っています。 菊地社長や自分のような、キックボクシングが好きで好きで、これしかできない人間がやっていくものだと思っています。
 子どもたちが一生懸命闘っているとき、教えている側も一心同体で闘っています。だから子どもたちが殴られると痛さを感じ、悔しさも感じます。それがほんとの師弟というか、教えている側の気持ちです。そういう指導が子どもたちにいかに通じるかが課題です。
 今の若い子に多く見られがちの「何をやっていいのかわからない」「目標がない」人が生まれてしまうきっかけって何なのでしょうか?また、その解決とは?
 目標を失わせている親たちだと思います。昔の親は、厳しい教育・恐さがあったが、今の親たちは怖さを教えず、過保護に育てている。何かあれば親たちが手をだして助ける状態ではないでしょうか。 以前は学校の先生にも、親にも逆らっちゃいけない縦の社会があった。今は縦の社会が逆転してしまい、教わる側が上になってしまっています。先生方が萎縮してしまい、注意することもできず、なにかあれば訴えられてしまう。その問題を僕らで、痛さを知ることで、自然に人の痛みを知ることができる武道という分野で教えていきたいです。必要なのは縦の社会です。
最後に、プラスワン・福島の社員の方にメッセージと、この福島にもメッセージをお願いします。
 プラスワン・福島は、解体や建築など、復興にすごくダイレクトに結びつくものなので、メッセージと言うよりは、「福島をお願いします!」という感じです。 僕が偉そうに言うことではないのですが、現在でもニュースなどでまだ帰れない人が何万人とか、人口が減っていったりとか、風評被害などで復興が進まず取り残されているイメージを持ってしまうかもしれません。決して、復興ブームだけでの応援じゃなく、現在でも変わらず、福島を応援している人たちがたくさんいるというのを伝えたいです。
 菊地社長の好きな言葉は「挑戦と努力」(挑戦があるから努力をしなければならない)この言葉は、武田選手にお話しを伺った内容にも十分関係していました。それでは、武田選手の出会いと、プラスワン・福島の設立のきっかけを教えてください。
 空手を通して武田選手の先生である長江國政先生とおつきあいができるようになり、自分が選手としての現役をある程度しりぞいた頃、とんでもない桁はずれの強さをもった目をみはる選手が武田選手でした。それ以来ずっと、応援させていただきました。 この会社はもともと、地方の空手選手が僕のところに集まり、生活を養っていかなければならないことから始まりました。もともとは菜っ葉屋で、そこで選手たちを雇用していました。しかし、当時私自身も現役アマチュア選手。私含め、働く選手たちの世界大会や地方大会、強化合宿など長期間不在にすることが多く、その資金ぐりが大変でした。 生活設計と本業である空手の両立ができるようにとの想いが、会社設立への大きなきっかけとなりました。
それではプラスワン・福島の社員に求めるものはなんでしょうか?
 常日頃の地味な活動が強い基盤を生み出します。試合は一見派手でかっこよく見えますが、その裏側には努力しかありません。みんなが思うほどかっこいいことはしていないし、努力をコツコツと積み上げたものが、試合の一瞬一瞬のシーンになります。仕事も何でもそうですが、人に見られているから頑張るのではなく、見えないところで頑張るからこそ自分に返ってくる。そういう努力を社員たちに求めたいです。 「自分のため」に働くのではなく、「人のため」「会社のため」に働くこと。そうすることで、結果的には「自分のため」になります。因果応報の法則です。ケースによっては「自分のため」にならない時もあると思います。それでもその働きは、必ずまわりに影響していきます。必ずつながっているものです。
どんな社員と一緒に仕事をしたいとお思いですか?
 社員一人ひとりが会社の歯車になるので、一つでも欠けると会社はだめになります。僕は親車としてやってきましたが、今はその一線をしりぞきみんなに油を差す、言わば整備士のような人間になってきました。会社が軌道に乗り、一人ひとりの歯車が円滑に回るカタチこそが自分の在り方、社員の在り方だと感じています。
どんな会社にしていきたいとお思いですか?
 世代交代ということで今後は庄田常務を社長にしていくわけですが、そのバックアップをしつつ、僕たちが開いた道を進んでいく支援を遠くからしていきたいと思っています。僕たちのようなふんぞりかえった固い考えを続けるより、若い人たちが伸び伸びとできるように色々な意見をとりいれてやっていかなければなりません。経営者は道を開いたからといってそこに居座ってはダメなのです。若い世代にバトンタッチできる流れを、先に走って作らなければなりません。格闘技界も会社も一緒なのです。 これからの会社は「3本柱」でやっていかなければなりません。「主流」となるものを選び、「サブ」を作っていく。そして「サブをいかに主流」へと変えていくかが大事になってきます。解体屋だからといって、それしかできないではだめ。時代ごとに常に新しいものを築きあげていく必要があると考えています。
 武田選手と菊地社長お二人には、武道の精神として仕事にも通じるもの、仕事の目標を達成していくための理由付け、モチベーションの保ち方など、武道の経験を通したお話しをお聞きします。
 武道家は憶病者が多いです。闘う相手が恐いから、ただひたすら練習をしています。ですがこの気持ちと同じように、仕事も周りに追い越されたくないという気持ちで努力していくことが大事だと思います。
 試合直前の控室では泣いてしまうほどの、極限の状態で、一人で自問自答を繰り返します。対戦相手と闘う前に、まず毎日自分自身の弱い心と闘いクリアにしています。それで初めて対戦相手の前に立てる自分へともっていきます。 日本タイトルを取り、人気とファイトマネーを手に入れた頃、タイの本場の選手と闘うことになりました。自分は10戦中ほぼKO勝利、やってきたタイ人は200戦以上闘った選手でした。余裕で勝つと思ってはいましたが、いざリングに立ち、目を合わせた瞬間恐怖しかありませんでした。感情がなく、死んだ魚のような目。本当に強い選手は「無」しかありません。 これが72戦あって1戦だけ逃げた試合です。長江師匠からも、これでは格闘家では食っていけないとまで言われてしまいましたが、一番恐かったことは、自分が逃げたばかりにお客様の信用を失ってしまったことです。それ以来、お客様の信用を保つことがモチベーション維持につながっています。誰かのためにやる、人のためにやることとつながっていきます。
今の世代にご自身の経験を通じて何か生きるヒントになるものがあれば教えてください。
やはり、自分を極限に持っていくしかありません。自分を追いつめて、誰かのまねをしてはダメなのです。 人がやらないことをどれだけ努力してできるかを、追いつめていけば自ずと答えは出てきます。努力しなければ結果は伴いません。努力するからこそ実になるものです。人が嫌がることでも率先してできることが、会社の大事な人材になることだと思っています。
 一経営者として考えると、社員に辛いと言われると限界をつくってしまうこともあるかと思います。経営者として必要なもの、組織立てについてはどうお考えですか。
 トップがどう対応するかよりも、トップの右腕となるべく人材がどう対応するかだと思います。次の世代を担うべく長年一緒に働いている社員は、自分が「○○しようか」と言葉で言わなくてもわかる人間に育っています。そうすると必然と会社は伸びていきます。経営者は、自分がいなければ会社は成り立たないと勘違いするのではなく、会社というものは誰かがどんな状況でもクリアしていける組織ということを意識する必要があります。 経営者は一緒にまわるのではなく、離れた場所から油を差す役だと思います。社員と同じ方向から物事を見ず、離れた場所から見ることで、もし間違った時に、それは違うということを強く教えることができます。
 最後に、取材を重ねるにつれ、いつもお世話になっている庄田常務をはじめ武田選手もとても謙虚な方だと実感しました。この謙虚さは精神的なものなのでしょうか。
 「人の道」を教えられたことが体に染みついているものもありますが、自分はこれだけやっているのにと思っても、出る杭は打たれます。やはりトップがしっかりしているからです。
 庄田常務は、自分が現役で仕事をやっているころは毎日のように泣かされていました。1つのことに集中することは、結果につながってきます。人との会話をしている際、相手の立場を考えると謙虚さも出てくると思います。口で教わるのではなく、実質的には体で教わるものです。